花は所を定めぬもの
私の家は典型的なサラリーマン家庭だった。
父は家庭をかえりみなかったし
専業主婦の母は家事をさぼっていた。
私は毎日同じ服を来て学校へ行っていた。
母は洗濯もろくにしなかったし
私に習い事もろくにさせはしなかった。
吝嗇だった。そのくせ、ゲーム機は買った。
私の教育の妨げでしかなかった。
母はことあるごとに私に怒鳴った。
母は父との離婚を機に統合失調症を発症した。
その前からやはり前兆は会ったといえる。
夜通し怒鳴り散らして私にキレていた。
「花は所を定めぬもの」とは、立派な人間は
誰が見ていなくても善い行いをするということ
のたとえというが、もちろん私なんか
立派な人間であるはずはなかった。
いまでも急いでいるとき
まわりに誰もいなくて交差点の信号が赤で
渡りたいことがあるが、やめる。
べつに立派な行動をとらなければと
思ってやめるわけではない。
もともと私は自分の感情をおさえる力
が不足ぎみの人間だから、一度、自制
を破ると、この先もう際限なく無節操
なことをするような気がして恐ろしく
それで仕方なく自分をおさえている
だけのはなしだ。
幽霊の正体見たり枯れ尾花
私は病気が発覚するまでは
一人暮らしをしていた。
一人暮らしは私にはストレスだった。
ずっとひとりで、かといって友だちもいない。
ホワイトノイズの機械を買って置いている。
部屋ではいつもそのサウンドが鳴っている。
今は実家で、隣家に隠居の老夫婦が居る。
いつもいる人間の気配を消すために買った。
私は人の気配が苦手だ。
人の生活音が私への嫌がらせのような気が
陽性症状が出ていた頃は毎日していた。
そして、
その当てつけに物にあたったり
器物破損して叫んだりしていた。
私の場合は薬で妄想や
人の視線が気になるのは抑えられている。
抑えられているが、なんだかそわそわする。
寝ていないとそわそわしてしかたがない。
それも最近では睡眠障害で夜も眠れない。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」とは
恐れているものも、実体は何でもない
平凡なものだということのたとえという。
私は幽霊とは自分の心の底にある恐怖心
のことだと考えるが、幽霊以上に
恐ろしいのは人の陰口だ。
破鏡(はきょう)重ねて照らさず
統合失調症の陰性症状はうつ病だ。
統合失調症には陽性症状しかない。
潜伏的な陽性症状や
薬で抑えられているというのもない。
もし本人が薬で抑えられていると
信じ込んでいるのならそれは単なる思い込みで
既に完治しているのに薬漬けになっているのだ。
統合失調症に(陽性症状しかない)
なりたての人に自殺願望はある。
うつ病も重度になると自殺願望はある。
「破鏡重ねて照らさず
落花枝に上り難し」は
割れた鏡は二度とものを映すことはなく
散った花は再びもとの枝に復すること
はないというたとえという。
「破鏡」は夫婦が別離することをいうそうだ。
さらに死んだ者は再びこの世には
生き返らないという意味や
一度過ぎ去った時間は再び帰ることはない
という意味もあると辞書にある。
しかし私はこの言葉を
縁あって夫婦になったからには
お互いになんとしても
壊れないよう努力すべきである
という戒めと考えたい。
みなさんは元気に生きられているだろうか。
歌聴いてわれ落涙す膳の前
私はよく夕飯を食べながら泣くことがある。
小2の頃、親戚宅でいとこの機嫌を損ね
そのいとこに一方的に怒られた時にも
祖母のつくるチャーハンを食べながら
(祖母のつくるチャーハンは
そんなに美味いかと子供の)
事情を知らぬ父に笑われながら。
5歳の頃、ご飯を残す時にも残飯のために。
そして最近、音楽を聞きながら。
泣いた記憶。感情の記憶は一生ものだ。
ちなみに、私は最近無精にも
ベッドの上で3度の食事をいただいている。
統合失調症になると無精になって、太る。